2023年4月13日木曜日

Sint-Truidense

日本中の国民を熱狂の渦へと巻き込んだ2022年W杯カタール大会。日本がドイツとスペインに大金星をあげ、世界中から日本人選手への注目が高まりました。そんな中、日本人選手による海外移籍の低年齢化が加速しています。

ここ最近で言うとドイツ1部のシャルケに移籍した上月壮一郎(22)や、フランス1部RCストラスブールに移籍したパリ五輪世代の鈴木唯人(21)、そして高校卒業後にボルシアMG入りを果たした元神村学園の福田師王(19)などが挙げられます。

元日本代表でキャプテンを務めていた吉田麻也や現日本代表の板倉滉もボルシアMGへの移籍を検討していた福田師王に対して「海外へ行ったら人間性が鍛えられる」、「本当にこっちに来てみないと分からないことが沢山あるから来い」と伝え、海外挑戦を決断したと言われています。

やはり若いうちから海外への移籍をすることで世界との壁や、通用するところが自己分析できるといったメリットはあると思います。しかし、そんな反面でコミュニケーションの壁や慣れない海外での生活で挫折してしまうといったことも起こりうるのが現実です。

そこで日本人選手が多く移籍するベルギーのシント=トロイデンというクラブをご存知でしょうか。胸にプリントされたスポンサーは日本の企業である「DMM.com」。これを読んでいる方の中にも疑問に感じている方はいらっしゃるかと思います。今回はそんなシント=トロイデンというクラブについて調べ、まとめてみました。

シント=トロイデンとは1924年に創設された、ベルギーのシント=トロイデンをホームタウンとするサッカークラブです。現在はベルギーリーグの1部に所属しています。

2017年11月に日本企業であるDMM.comがシント=トロイデンの経営権を獲得しました。なぜベルギーなのかというのはベルギーの場所が大きく関わっています。ベルギーという国はドイツとフランスに接しており、イングランドにも近い位置にあるため、スカウトの目に入りやすいということや、外国人枠の制限が緩和されていることが買収の決め手になったそうです。ちなみにオーストリアやポルトガルも外国人枠の制限が比較的に緩和されているそうです。

これまで数多くの日本人選手が在籍していたのはご存知の方も多いはず。元日本代表の10番である香川真司や現在は元日本代表の岡崎慎司も在籍しています。

中でも活躍を見せ大きな飛躍を見せたのが、アーセナルの富安健洋やシュトゥットガルトの遠藤航、フランクフルトの鎌田大地などが挙げられます。こうした日本人選手のステップアップの場として大きな注目を集めています。

現シント=トロイデンのCEOであり、FC東京で強化部長及びGMを務めていた立石敬之氏は「選手にとって欧州でのスタートは大事。最初に多くのプレーができれば海外にも慣れ、自信を持って次(のクラブ)に行ける」と語っています。

しかし、買収した直後は改善の余地が多く見つかったそうです。色々調べた中で特に問題だと思ったのがトップチームと下部組織の連携です。トップチームとセカンドチームは同じ組織なのに対し、下部組織は運営しており両組織間の連係が全くなかったそうです。お互いのコミュニケーションも希薄で、ユースで行われることを何も知らず、誰が教えているかも分からない状態だそうです。

ユースの子供たちがトップチームに憧れて目標にする、そんなクラブであり街にしていかなければいけません。下部組織には子どもたちが500人くらいいて、親御さんも合わせれば3倍の1500人くらいにはなるのでもっと観客動員数が増えてもおかしくないはず。原因はやはりトップと下部組織の交流がないからだと言われています。

課題はたくさんあるようですが、DMM.comとしての強みももちろんあります。それは言語面のサポート。才能ある日本人選手たちも言葉の壁に悩ませれ、出場機会にも恵まれず帰国するケースはこれまで多くありました。DMM.comでは様々な事業に取り組んでおり、その一つとして「DMM 英会話」というものがあります。おぎやはぎの矢作とアイクぬわらが出演するCMを一度は観たことがあるでしょう。このサービスを使えばスカイプで英語を学ぶことができ、日本にいるときでもできるので、移籍が決まった時点ですぐに取りかかってもらうそうです。

今回シント=トロイデンというクラブを調べてみて、こうした経験を経て欧州5大リーグへ自信を持って羽ばたく選手が増えいていくことで日本サッカーの底上げになり、育成年代の選手たちにも夢や希望を与えられる場所(クラブ)になっていると思いました。ベルギーリーグのレベルが高いかと高いと言い切れませんが、そこから多くの日本人選手がヨーロッパのトップクラブで活躍し、W杯ベスト4を狙える国になるのも程遠くない未来に感じます。今後のクラブとしての動向も目が離せません。

2023年4月7日金曜日

A history of Britpop

 「ブリットポップ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。英語では"Britpop"。"Brit"とはいうまでもなく"British"の略ですね。「英国の」あるいは「英国人の」ポップ、ということになります。ブリットポップは90年代半ばに一大ブームを巻き起こします。それは音楽誌のみならずテレビや大衆誌までもが取り上げるほどの革命的なムーブメント。そんなブリットポップブームを巻き起こした2大バンドといえばBlurとOasisなのはご存知の方も多いはず。

今回はブリットポップの始まりから終わりまで、さらには2バンドそれぞれのファッションなどについても触れていこうと思います。ちなみに店頭でサッカーウェア以外のアイテムも置いていることに疑問を持たれる方もいらっしゃるみたいで、それに関してはこういったカルチャーからのインプットもあってセレクトしてるということが少しでも理解してもらえたらなと思います。と言ってもフットボールのカルチャーと決してかけ離れている存在というわけではありません。

90年代初頭、Nirvanaを筆頭とするシアトル出身バンドを中心にグランジブームが到来します。80年代にアメリカで当時の日本の音楽メディアから「LAメタル」と呼ばれていたHR/HMバンドによるムーブメントが80年代後半には世間から飽きられ、若者の心から離れていきます。派手な衣装やキラキラしたパーティソングは「リアルじゃない」と。

そんな中、Nirvanaのフロントマンであるカート・コバーンが奏でるロックには、若者の貧困や、世の中への訴えや権力者への怒り、魂の孤独感や絶望感が表現されていて、聴いた若者はその「リアル」に心を打たれました。「これが俺たちが聴きたかった本物のロックだ!」と。

90年代のイギリスは美術が素晴らしく、美術の拠点でもあるロンドン大学にてBlurは結成。1stシングル“She's So High”の浮遊感とワンフレーズをリフレインする構造は、マッドチェスターシューゲイザーが主流になっていた時代性を映しています。

91年のファースト・アルバム『Leisure』は全英7位を記録しますが、当時バンドが背負っていた多額の借金を返済すべくアメリカに長期のツアーを回ることを決意します。しかし、入国の日にアメリカではNirvanaが空前の大ヒットを起こした名盤”Nevermind”をリリースしたのです。 

アメリカ中のクラブやパブでライブをするも、誰1人と目もくれずバンドは解散危機に追い込まれます。フロントマンのデーモン・アルバーンはツアー中、重度のホームシックにかかり、ホテルの部屋に閉じこもっては、毎晩取り憑かれたかのようにTHE KINKSの”Waterloo Sunset”を聴いて心を落ち着かせていたそうです。そこから彼は英国への愛を高々と歌い上げる曲を書くようになります。 

1994年、彼らにとって初の全英1位アルバムとなる『Parklife』がリリース。イギリスの時代精神を表すアルバムとして称賛され、この後の英国音楽シーンの流れを決定づけることとなります。1995年のブリット・アワードでもベスト・アルバム賞のはじめとする4部門を受賞。このアルバムによってBlurはこの時代のイギリス的なポップバンドを纏めて呼んだ総称、「ブリットポップ」バンドの代表格と呼ばれるようになります。

その後にイギリスの最も長寿で最も愛されたポップ音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演。当時イギリスはテレビのチャンネルが4つしかなく、この番組にさえ出れば間違いなく若者に認知される、そして売れると確信したそうです。ちなみにデュエットとして参加しているのは、映画「さらば青春の光」でジミー少年役を演じていた俳優のフィル・ダニエルズです。

一方でイギリスの工業地帯に位置する都市マンチェスターからOasisが現れます。マンチェスター出身のバンドとしてはBuzzcocksやJoy Division、The Smiths以来の原石とも言われています。ある日、グラスゴーのパブで「Rock 'n' Roll Star」やビートルズのカバーを演奏しているところを見かけたクリエイション・レコーズのアラン・マッギーによって契約を結ぶことになります。

Blurは首都ロンドンの中流階級に対して、Oasisはマンチェスター出身の労働者階級。「マンチェスターの人間はロンドンを嫌う」これは階級の違いによって必然的に起こりうることで、2バンドの対立は次第に大きくなっていきます。そしてOasisの影響で「反発心や多様性がある労働者階級の文化は優れている」と労働者階級のバンドにも脚光を浴びるようになります。

 

1995年8月14日、Oasisの“Roll with It”とBlurの“Country House”の同月同日発売が決定し、全英シングル1位かけての直接対決となります。この対立に対して多くのメディアが1週間もかけて取り上げ全国民の注目となりました。

 結果は6万枚近い差をつけてBlurの勝利。そこからBlurの勢いは止まらず、2年後にリリースした”Beetlebum”も全英で1位を獲得します。この”Beetlebum”は個人的にもBlurで好きな曲の一つです。

こうしてBlurとOasisの差が広がっていく中で、Oasisも黙っているわけにはいきません。大きな反撃に出たOasisは1995年10月に”Wonderwall”をリリースし、大ヒットを生みます。その後の10月に2ndアルバム”Morning Glory”をリリース。発売直後から世界中で爆発的な売り上げを記録し、オアシス史上最高のセールスを記録したアルバムとなります。全世界では2500万枚以上を売り上げ、Oasisは世界を代表するバンドとしてスターダムへ駆け上がりました。

当時は22人に1人がライブのチケットを買っていたと言われ、ロンドンの街中なら5秒に1人はファンとすれ違うと言われていたほど。イギリス国内どこに訪れてもOasisの楽曲が流れていたと言われています。

しかし、1997年にブリットポップの勢いは失速。Blurはアメリカのアンダーグラウンドのシーンにフォーカスし、同年4月に”Song 2”をリリースします。数年前のインタビューでは「グランジを殺す」とグランジに対する皮肉なコメントを残していたデーモン・アルバーンですが、Nirvanaよりもくどい最高なグランジを披露。MTVでのヘビロテが決定した瞬間にヒットを確信したと言います。今でもCMやスポーツの試合会場などでも流れることがあり、1度は耳にしたことがあるんではないでしょうか。

こうして新たな時代の幕開けと同時にブリットポップは終わり迎えます。長々とブリットポップの歴史を語りましたが、Netflixの「This Is Pop: ポップスの進化」というシリーズの「ブリットポップがやって来た!」というエピソードでも分かりやすく解説されています。興味を持たれた方は是非。

 

では、90年代のイギリスで一大ムーブメントを起こした「ブリットポップ」をファッションという側面から見ていきましょう。個人的な認識としてブリットポップのファッションってそんなに高価な服を着ているというイメージはなく、庶民的なレギュラーブランドを着ていることがほとんどで、着飾らない自然体な自分を表現している「リアルさ」が当時の若者の心を掴んでいたのではないかと思います。分かりやすく言うとふらっとコンビニやスーパーに行くときのような緩いファッション。

ではそれぞれのバンドから1人ずつご紹介していきます。

まずはBlurのフロントマンであるデーモン・アルバーン。現在はGorillazというバーチャル覆面音楽プロジェクトとしても活動しています。

 

ブリットポップのファッションといえば「トラックトップ」などを思い浮かべる方も多いかと思いますが、忘れてはいけないのがこちらのハリントンジャケット。カラーはベージュで裏地はチェックのものが最も印象的です。どこのブランドのものかは不明ですが、恐らくハリントンジャケットの代表的なブランド”Baracuta”のアイテムではないと思います。

 

お次はトラックトップ。デーモン・アルバーンは”Kappa”や”Lotto”、”FILA”、”Sergio Tacchini”などイタリアのスポーツブランドを好んで着ていた印象です。今では少しいなたい印象があるようなブランドですが、着飾っていないところがカッコ良さを感じます。うちでもこの辺のブランドは他の古着屋よりも取り扱いは多い方だと思います。

そしてこの写真は見たことがある方も多いんではないでしょうか。ロンドン出身なだけあって地元クラブのチェルシーのユニフォームを着用しています。ちなみにこちらは95/96シーズンのもの。今では日本でもよく見るスタイリングとなりましたが、イギリスならではの文化ですね。地元のクラブのユニフォームを普段のスタイリングに取り入れる人って今の日本でもなかなかいないですよね。

お次はOasisのフロントマン、リアム・ギャラガー。彼といえばアノアラックパーカーをイメージする方が多いかと思います。彼にとってアイコニックなアイテムの一つと言えるでしょう。

 

そして何と言ってもマウンテンパーカーも忘れてはいけません。この写真ではイギリスのアウトドアブランド”Berghaus”を着用しています。当時のUKアーティストはBerghausをよく着ていた印象です。他にもColumbiaなど着用ブランドは様々です。

 

何よりフットボールを愛し、地元クラブであるマンチェスター・シティをこよなく愛すリアムもスポーツウェアは外せません。こちらはUMBROのピステを着用。インナーにシャツを挟むことで上手くまとまっているように感じます。これも彼のファッションセンスですね。

といった感じで長々とブリットポップを語りましたが、いかがだったでしょうか。これでもかなり凝縮した内容なので気になったところは深掘って調べてみてください。フットボールウェアに着目されがちですが、一応古着屋なのでフットボールのカルチャーを軸に商品をセレクトしています。ブリットポップのファッションが現代の日本でも流行すると面白いですね。