2023年10月16日月曜日

Looking for Eric

お久しぶりです。怒涛の夏を乗り越え、少し自分自身のタスクにも余裕ができたように感じます。そして実は新たに店頭に販売スタッフが加わったということもあって自分の自由な時間を確保できつつあります。そんなこともあって退勤後に部屋でまったりとスナック菓子でも食べながら映画を観るのが最近の至福の時間です。ちなみに最近のお供は堅揚げポテトの関西だし醤油味です。おそらく関西限定なので遠方からお越しの方はお土産に是非。店の隣のドラッグストアで売っています。

今回は最近観た映画の中でも面白かったものをご紹介したいと思います。何本かあるのでとりあえず今回は第一弾ということで、元マンチェスター・ユナイテッドのレジェンド “エリック・カントナ” 本人が出演する「エリックを探して」という作品をご紹介します。

そもそもエリック・カントナって誰?って方にまずは簡単な説明を。

エリック・カントナはフランス代表の元サッカー選手。マンチェスター・ユナイテッドに所属していた頃が特に脚光を浴びていたレジェンドです。トレードマークはユニフォームの襟を立てた着こなし方です。世代の方は真似をしていた方もいるんじゃないかと。練習にも精魂を傾けるフットボールへの真摯な取り組みはチームメイトに多大な影響を与え、いつしか彼は「キング」という愛称で親しまれました。

しかし、唯我独尊の態度で孤高の存在であったカントナは、他人の意見や規範による柵を徹底して嫌い、厳格な態度で規律を重んじる当時の監督 ”アレックス・ファーガソン” の流儀に括られることもありませんでした。そんな彼の存在も大きく、マンチェスター・ユナイテッド移籍1年目で26年ぶりの優勝に導き、低迷期を迎えていたクラブの再建に大きく貢献した彼は2001年にマンチェスター・ユナイテッドの「20世紀最高のサッカー選手」に選ばれています。

時に彼は気性の荒さと言動から常に問題を起こすサッカー界の異端児でもありました。中でも最も有名なのが「カンフーキック事件」です。退場処分を言い渡されたカントナに対して煽りを入れた相手サポーターに対してカンフーキックをお見舞いする始末。これにより約4ヶ月間の社会奉仕活動、1年弱の出場停止処分を受けましたが、その後の会見で「カモメがトロール船を追うのは、鰯が海に投げ込まれると考えているからだ。どうもありがとう」という名言を残しています。カモメ=マスコミ、漁船=カントナ、イワシ=おいしいネタ、ということをジョークを交えた表現も彼らしく、現代にも語り継がれる名言となっています。

なんとなくエリック・カントナが伝説的な選手ということは伝わったんではないでしょうか。実は今回ご紹介する「エリックを探して」という作品は、引退後に俳優としてセカンドキャリアを歩んでいたエリック・カントナ本人が着想し、ケン・ローチ監督に持ち込んだことから製作が始まったそうです。本人が本人役で映画を撮ろうと持ち込んだというなんともぶっ飛んだ発想は彼ならではの行動と言えるでしょう。

ケン・ローチ監督は以前ブログで紹介した「SWEET SIXTEEN」を製作した監督でもあり、一貫して労働者階級に焦点を当てた作品を製作し続けるイギリスの映画監督・脚本家です。今作もマンチェスターという工業地帯を舞台に労働者階級の遣る瀬ない感情を上手く描いていました。独特な訛りをリアルに表現するためにキャストをマンチェスター及び北イングランド出身者で固めているというところにも監督のこだわりの強さを感じました。

作品のあらすじは、労働者とサッカーの街、マンチェスターで、人生のどん底にいた中年の郵便配達員エリック(カントナではない)が、熱狂的に憧れるスーパースターのエリック・カントナに導かれ、仲間と共に人生の危機を脱するというストーリーです。

主人公のエリックはバツ2で2度目の妻の連れ子、10代のライアン、ジェスとの3人で暮らしています。2人の子供は家ではやりたい放題。

失敗続きの人生で途方にくれていたエリックは自室に飾っているエリックカントナのポスターに向かって「俺の憂鬱の理由がわかるか?一生後悔するような失敗をしたことは?」と、話しかけます。すると背後から、「君はどうだ?」と尋ねる声がし、振り向いてみるとそこにはエリック・カントナ本人が立っていたのです。

エリックの憂鬱は30年前に恋に落ちた最初の妻リリーの存在です。娘のサムが生まれましたがすぐに別れ、以来会わずにいました。カントナはエリックと向き合い助言を続け、人生に良い兆しが見え始めます。リリーとも再会を果たし、当時すれ違ってしまっていた2人の思いをリリーに打ち明け、次第に関係は良くなっていきます。

 

しかし息子のライアンとジェスがギャングと関係を持つようになり、クラブでの銃撃事件などのけつを持たされたりと都合の良い駒にされてしまいます。果たしてエリックはカントナの助言のもとで人生を逆転できるのかというのが今作のあらすじです。

感想としてはカントナの勇気を持って一歩踏み出すこと。仲間を信頼して強く団結すること。という当たり前のようで難しい人生の教訓に色々と考えさせられました。

そしてエリック・カントナが出てきた最初のシーンで放った「最も美しい思い出が場合によっては最も辛い」というセリフが印象的でした。美しい思い出も今となって思い返すと胸を刺すようなときもあるものです。そんな過去とも向き合って強く生きようと考えさせられました。

そしてカントナの存在はもちろんですが、郵便局員の同僚である友達の存在がとにかく大きかったです。仲間の悩みに真摯に向き合い支える姿には胸を打たれます。特にミートボール(どんな名前やねん)がかなり良い。勝手に名脇役賞を捧げたいくらいです。どれだけ悩みがあっても話を聞いてくれる人がいるだけで幸せなことだということは誰しも忘れがちなんではないでしょうか。「なんで自分だけ…」と思ってもきっと支えてくれる人が周りにいるということは忘れてはいけないし、それだけで幸せなことなんだと強く思いました。

あと劇中に出てくるサポーターが着用しているユニフォームはマンチェスター・ユナイテッドの07/09シーズンのものです。個人的に僕のドンピシャな世代で、丁度この頃から海外サッカーにも興味を示した気がします。クラブ世界一になったのもこのとき。ガンバ大阪と対戦したことを今でも鮮明に覚えています。当時の7番であったクリスティアーノ・ロナウドのユニフォームを着て公園でサッカーをしていたのも懐かしい思い出です。将来こんな仕事をしているとも思っていなかったので当然気づいた頃には親に処分されていました…。

2人の息子ライアンとジェスもユナイテッドのサポーターでカジュアルな格好にインナーとして差し込んでいて、いかにも現地サポーターというスタイリングが良い意味で飾り気がなくてかっこよかったです。(ジェスがとにかくかっこいいんですが写真が見つかりませんでした)

コメディ要素も多くて、サッカー映画というよりサッカーが身近にあるイギリス人を描いた映画といった感じ。いわば労働者の味方であるケン・ローチ監督が描いた本作は、サッカーファンでなくても十分に楽しめる作品です。興味持っていただいた方は是非。

2023年10月5日木曜日

Detergent Sweatshirt

夏も終わり10月に入りました。日中はまだまだ暑い日もありますが、夜風を浴びると秋の訪れを感じます。店頭でも秋物商品の占める割合も増えてAWの準備を着々と済ませる方が増えきて嬉しい限りです。ありがとうございます。

そんな僕の好きな季節になってきたとこで久しぶりに当店オリジナルのマーチャンダイズを販売します。制作にあたってテーマを決めようと考えていたところにこんなものを見つけました。

これはエミレーツ・スタジアムで行われた僕が愛してやまないアーセナルのホームでの試合の1シーン。ハヴァーツの後方にLED広告として映し出されているのは「Persil(パーシル)」というドイツ生まれの衣類洗剤ブランドです。日本ではあまりメジャーではないPersilですが、本国ドイツをはじめイギリスなどでは誰もが知るブランドのようです。日本ではコストコに売ってるとか。

Persilは今年2023年からアーセナルと2年間のグローバルパートナーシップを締結しました。きっとグーナーはコストコに駆け寄った方もいるんじゃないかと思います。

このPersilを見た瞬間にスペルがPelsiveに酷似していることから、グーナーであることに誇りを持ち、Persilをサンプリングしたマーチャンダイズを作ろうと決意しました。

今回は季節に合わせてスウェットにグラフィックを刺繍で落とし込みました。そしてカラーはアイビーグリーン。なぜこのカラーを選んだかというと、今シーズンのアーセナルの3rdキットから抽出しました。個人的にも3rdキットが発表されて久しぶりに現行のユニフォームを欲しいと思いました。このキットは82/83シーズンのアウェイキットをイメージしており、レトロなスタイルを再現したモデルとなっています。公式からはこんなプロモーションムービーも公開されています。

今回使用したボディは厚すぎず薄すぎない10.0 ozで、幅広いシーズンに着ていただけるように裏地はパイル地のものを選びました。そして生地はコットン100%なので肌触りの優しい心地いい着心地です。サイズはM、L、XLの3サイズ展開でサイズ表は下記の通りです。

(M) 着丈64cm / 身幅54cm / 袖丈58cm / 肩幅 46cm

(L) 着丈67cm / 身幅57cm / 袖丈59cm / 肩幅 49cm

(XL) 着丈69cm / 身幅60cm / 袖丈60cm / 肩幅 52cm

ちなみにお値段は9,900円 税込です。

個人的にこだわったのはフラッシャー。この仕事を長くしているとフラッシャー付きのデッドストックにテンションが上がるものです。ということでどうせならフラッシャーも製作することにしました。

このフラッシャーは3rdユニフォームの基となった82/83シーズンの要素も入れて、手に取っていただいた方に、より雰囲気を味わってもらいたいと考えて1982年頃に販売されていた”Persil automatic”をイメージしたデザインとなっています。

もろにアーセナルを感じさせない絶妙なサンプリングとなっているので、グーナーの方以外でも気に入ってもらえるんじゃないでしょうか。個人的にはかなり気に入ってます。

販売は明日107()に実店舗から先行販売させていただきます。オンラインに関しては107日の20:00に販売開始します。よろしくお願いします。

2023年6月23日金曜日

Napoli are champions of Italy

 今シーズン、33年ぶりのセリエA優勝を成し遂げたナポリ。シーズン序盤から躍動する攻撃陣の好調ぶりから、なんと残り5試合を残した段階で2位ラツィオとの勝ち点差が16ポイントとなり優勝が決定しました。これはディエゴ・マラドーナを擁した89/90シーズン以来の33年ぶりの優勝です。

優勝の立役者のひとり、FWクバラツヘリアの開幕時の市場価値は1000万ユーロでしたが、現在は1億ユーロ(日本円で約150億円)と10倍の数字に。そして今季32試合26ゴールでセリエA得点ランキングトップのオシムヘンは1億5000万ユーロ(日本円で約230億円)という金額に大きな変動が見られます。

イタリアの実業家、映画プロデューサーでもあり、ナポリの会長でもあるデ・ラウレンティス氏は「来季はチャンピオンズリーグを狙う」と威勢の良いコメントを残していますが、ビッグクラブがこぞってナポリの選手たちの獲得を狙っていることは確かです。市場価値も上がればより高い金額を提示してくれるクラブに移籍を考える選手も少なくないはず。

そして優勝に大きく貢献し、チームを指揮していたルチアーノ・スパレッティ監督が今季限りで退任をしました。彼は1995年から監督としてのキャリアをスタートさせ、セリエAを中心に様々なクラブを率いました。中でもASローマでの監督時代に大きな注目を集めました。その名も「0トップシステム」。生粋のストライカーを起用せず細かなパス回しとMFの走り込みを組み合わせた攻撃サッカーはセリエAで最も美しいサッカーと言われました。

07/08シーズン、ローマはFWに怪我人が続出し、遂には出場できるFWが不在という窮地に追い込まれました。そこでスパレッティ監督は本来、「1・5列目」で「司令塔」の役割を担っていたチームの大黒柱トッティを1トップに据えて、ピッチ上に純粋なFWを1人も置かないという賭けに出ました。結果的にこの斬新なシステムに対し対戦チームは有効な対策を持ちえず、ローマの快進撃が始まったのです。この戦術は後にバルセロナを始めとする強豪クラブにも大きな影響を与えました。

なんだかんだで前置きがかなり長くなってしまいましたが、今回はそんなナポリのウルトラス(過激派サポーター)の実態を描いたNetflixオリジナルのイタリア映画「Ultras」をご紹介します。

ナポリはなんといっても熱狂的なサポーターが有名でもあります。そもそもイタリアという国は南北での格差が現在でも問題として挙げられます。産業が発達して経済的にも豊かな北部からは、南部に位置するナポリの経済的・社会的な後進性を象徴するシンボルとして、偏見と蔑みの目で見られてきました。特に、対戦相手のサポーターからの扱いは酷く、ミラノやヴェローナに遠征するたびに「ようこそイタリアへ」とか「石鹸で身体洗ったか?」とか、そういう横断幕やコールで迎えられてきました。

「貧しい庶民層にとって、この街で生きて行くのはいろんな意味で楽なことじゃない。カルチョはそのはけ口として機能している面がある。」とイタリアのスポーツ紙が語るようにナポリに住む人たちにとってサッカーは宗教のようなもので、ナポリほどサッカーに熱狂し情熱を傾けている都市はイタリアを見回しても他にはないと言われます。

ナポリで生まれナポリで育ったカルチョ(イタリア語でサッカーの意)に熱狂する男たちが集う過激派サポーターグループ「ウルトラス」。グループの創設に関わった高齢な世代は過去に起こした暴動事件によってスタジアムの出禁を食らっています。その1人がこの物語の主人公サンドロ。そんな彼らとスタジアムに足を運ぶ若い世代に亀裂が入っていき、次第には対立することになります。劇中ではスタジアムに入れない彼らに向けたチャントで「Onoriamo i diffidati(出入り禁止の友に敬意を)」と力強く叫ぶシーンがあります。

暴動事件に関わった人物の中にアンジェロという若い青年の兄もいました。しかしその暴動事件によって兄は死亡、そして父親もおらず母親は母親気取り。そんな孤独なアンジェロを息子のように思うサンドロとの描写は心温まるシーンばかりです。果たして対立した「ウルトラス」はどんな結末を迎えるのかというのが簡単なあらすじです。

物語の構成としては日本のヤクザ映画といった感じで、ヤクザ映画が好きな自分はかなり観やすかったです。皆さんの予想通りほとんどが喧嘩やドラッグ、SEXで、もちろんサッカーシーンは一切ございません。よくこんなに正常でいれるなってぐらいひたすらマリファナとコカインを愉しむ姿には少し違和感を感じましたが、これまで紹介してきたフーリガン要素のある映画の中ではダントツで悪そうな雰囲気が別格でした。

サッカー映画では珍しく劇中に実際のスタジアムが登場します。ナポリのスタディオ・サン・パオロ、ローマのスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマで実際に撮影され、発煙等を投げるシーンは興奮しましたね。

個人的にはアンジェロがとにかくイケメンすぎる印象が大きいです。「ターミネーター2」のジョン・コナーのような見た目の彼はウチでも取り扱っているFILAやSergio Tacchini、Diadoraやadidasなどのスポーツブランドを着ていました。アンジェロが履いていたDiadoraの白スニーカーがなぜかめっちゃカッコよく見えて買おうか検討しています。写真にはありませんが劇中で着ているFILAのスウェットも良かったです。イギリスのカジュアルズやフーリガンなどとはまた違ったファッションなのかと思っていましたが、意外にも大きな違いは無い気がします。国境を超えても、フットボールではなくカルチョであっても継承されたカルチャーは存在すると感じました。

もちろんこんな悪い奴らだけがナポリのサポーターってわけでは無いのでそこは誤解しないようにお願いします。国単位、いや地域によっても経済状況や文化などが大きく異なりますが、イタリアのナポリに住む人のサッカーに対する価値観を肌で感じられる作品です。かと言っても気を張って真剣に観るべき作品ってわけでも無いと思うのでぼーっと観て「へぇ~」って軽く頷きながら緩く観るぐらいで良いと思います。そんな作品です。

2023年4月13日木曜日

Sint-Truidense

日本中の国民を熱狂の渦へと巻き込んだ2022年W杯カタール大会。日本がドイツとスペインに大金星をあげ、世界中から日本人選手への注目が高まりました。そんな中、日本人選手による海外移籍の低年齢化が加速しています。

ここ最近で言うとドイツ1部のシャルケに移籍した上月壮一郎(22)や、フランス1部RCストラスブールに移籍したパリ五輪世代の鈴木唯人(21)、そして高校卒業後にボルシアMG入りを果たした元神村学園の福田師王(19)などが挙げられます。

元日本代表でキャプテンを務めていた吉田麻也や現日本代表の板倉滉もボルシアMGへの移籍を検討していた福田師王に対して「海外へ行ったら人間性が鍛えられる」、「本当にこっちに来てみないと分からないことが沢山あるから来い」と伝え、海外挑戦を決断したと言われています。

やはり若いうちから海外への移籍をすることで世界との壁や、通用するところが自己分析できるといったメリットはあると思います。しかし、そんな反面でコミュニケーションの壁や慣れない海外での生活で挫折してしまうといったことも起こりうるのが現実です。

そこで日本人選手が多く移籍するベルギーのシント=トロイデンというクラブをご存知でしょうか。胸にプリントされたスポンサーは日本の企業である「DMM.com」。これを読んでいる方の中にも疑問に感じている方はいらっしゃるかと思います。今回はそんなシント=トロイデンというクラブについて調べ、まとめてみました。

シント=トロイデンとは1924年に創設された、ベルギーのシント=トロイデンをホームタウンとするサッカークラブです。現在はベルギーリーグの1部に所属しています。

2017年11月に日本企業であるDMM.comがシント=トロイデンの経営権を獲得しました。なぜベルギーなのかというのはベルギーの場所が大きく関わっています。ベルギーという国はドイツとフランスに接しており、イングランドにも近い位置にあるため、スカウトの目に入りやすいということや、外国人枠の制限が緩和されていることが買収の決め手になったそうです。ちなみにオーストリアやポルトガルも外国人枠の制限が比較的に緩和されているそうです。

これまで数多くの日本人選手が在籍していたのはご存知の方も多いはず。元日本代表の10番である香川真司や現在は元日本代表の岡崎慎司も在籍しています。

中でも活躍を見せ大きな飛躍を見せたのが、アーセナルの富安健洋やシュトゥットガルトの遠藤航、フランクフルトの鎌田大地などが挙げられます。こうした日本人選手のステップアップの場として大きな注目を集めています。

現シント=トロイデンのCEOであり、FC東京で強化部長及びGMを務めていた立石敬之氏は「選手にとって欧州でのスタートは大事。最初に多くのプレーができれば海外にも慣れ、自信を持って次(のクラブ)に行ける」と語っています。

しかし、買収した直後は改善の余地が多く見つかったそうです。色々調べた中で特に問題だと思ったのがトップチームと下部組織の連携です。トップチームとセカンドチームは同じ組織なのに対し、下部組織は運営しており両組織間の連係が全くなかったそうです。お互いのコミュニケーションも希薄で、ユースで行われることを何も知らず、誰が教えているかも分からない状態だそうです。

ユースの子供たちがトップチームに憧れて目標にする、そんなクラブであり街にしていかなければいけません。下部組織には子どもたちが500人くらいいて、親御さんも合わせれば3倍の1500人くらいにはなるのでもっと観客動員数が増えてもおかしくないはず。原因はやはりトップと下部組織の交流がないからだと言われています。

課題はたくさんあるようですが、DMM.comとしての強みももちろんあります。それは言語面のサポート。才能ある日本人選手たちも言葉の壁に悩ませれ、出場機会にも恵まれず帰国するケースはこれまで多くありました。DMM.comでは様々な事業に取り組んでおり、その一つとして「DMM 英会話」というものがあります。おぎやはぎの矢作とアイクぬわらが出演するCMを一度は観たことがあるでしょう。このサービスを使えばスカイプで英語を学ぶことができ、日本にいるときでもできるので、移籍が決まった時点ですぐに取りかかってもらうそうです。

今回シント=トロイデンというクラブを調べてみて、こうした経験を経て欧州5大リーグへ自信を持って羽ばたく選手が増えいていくことで日本サッカーの底上げになり、育成年代の選手たちにも夢や希望を与えられる場所(クラブ)になっていると思いました。ベルギーリーグのレベルが高いかと高いと言い切れませんが、そこから多くの日本人選手がヨーロッパのトップクラブで活躍し、W杯ベスト4を狙える国になるのも程遠くない未来に感じます。今後のクラブとしての動向も目が離せません。

2023年4月7日金曜日

A history of Britpop

 「ブリットポップ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。英語では"Britpop"。"Brit"とはいうまでもなく"British"の略ですね。「英国の」あるいは「英国人の」ポップ、ということになります。ブリットポップは90年代半ばに一大ブームを巻き起こします。それは音楽誌のみならずテレビや大衆誌までもが取り上げるほどの革命的なムーブメント。そんなブリットポップブームを巻き起こした2大バンドといえばBlurとOasisなのはご存知の方も多いはず。

今回はブリットポップの始まりから終わりまで、さらには2バンドそれぞれのファッションなどについても触れていこうと思います。ちなみに店頭でサッカーウェア以外のアイテムも置いていることに疑問を持たれる方もいらっしゃるみたいで、それに関してはこういったカルチャーからのインプットもあってセレクトしてるということが少しでも理解してもらえたらなと思います。と言ってもフットボールのカルチャーと決してかけ離れている存在というわけではありません。

90年代初頭、Nirvanaを筆頭とするシアトル出身バンドを中心にグランジブームが到来します。80年代にアメリカで当時の日本の音楽メディアから「LAメタル」と呼ばれていたHR/HMバンドによるムーブメントが80年代後半には世間から飽きられ、若者の心から離れていきます。派手な衣装やキラキラしたパーティソングは「リアルじゃない」と。

そんな中、Nirvanaのフロントマンであるカート・コバーンが奏でるロックには、若者の貧困や、世の中への訴えや権力者への怒り、魂の孤独感や絶望感が表現されていて、聴いた若者はその「リアル」に心を打たれました。「これが俺たちが聴きたかった本物のロックだ!」と。

90年代のイギリスは美術が素晴らしく、美術の拠点でもあるロンドン大学にてBlurは結成。1stシングル“She's So High”の浮遊感とワンフレーズをリフレインする構造は、マッドチェスターシューゲイザーが主流になっていた時代性を映しています。

91年のファースト・アルバム『Leisure』は全英7位を記録しますが、当時バンドが背負っていた多額の借金を返済すべくアメリカに長期のツアーを回ることを決意します。しかし、入国の日にアメリカではNirvanaが空前の大ヒットを起こした名盤”Nevermind”をリリースしたのです。 

アメリカ中のクラブやパブでライブをするも、誰1人と目もくれずバンドは解散危機に追い込まれます。フロントマンのデーモン・アルバーンはツアー中、重度のホームシックにかかり、ホテルの部屋に閉じこもっては、毎晩取り憑かれたかのようにTHE KINKSの”Waterloo Sunset”を聴いて心を落ち着かせていたそうです。そこから彼は英国への愛を高々と歌い上げる曲を書くようになります。 

1994年、彼らにとって初の全英1位アルバムとなる『Parklife』がリリース。イギリスの時代精神を表すアルバムとして称賛され、この後の英国音楽シーンの流れを決定づけることとなります。1995年のブリット・アワードでもベスト・アルバム賞のはじめとする4部門を受賞。このアルバムによってBlurはこの時代のイギリス的なポップバンドを纏めて呼んだ総称、「ブリットポップ」バンドの代表格と呼ばれるようになります。

その後にイギリスの最も長寿で最も愛されたポップ音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演。当時イギリスはテレビのチャンネルが4つしかなく、この番組にさえ出れば間違いなく若者に認知される、そして売れると確信したそうです。ちなみにデュエットとして参加しているのは、映画「さらば青春の光」でジミー少年役を演じていた俳優のフィル・ダニエルズです。

一方でイギリスの工業地帯に位置する都市マンチェスターからOasisが現れます。マンチェスター出身のバンドとしてはBuzzcocksやJoy Division、The Smiths以来の原石とも言われています。ある日、グラスゴーのパブで「Rock 'n' Roll Star」やビートルズのカバーを演奏しているところを見かけたクリエイション・レコーズのアラン・マッギーによって契約を結ぶことになります。

Blurは首都ロンドンの中流階級に対して、Oasisはマンチェスター出身の労働者階級。「マンチェスターの人間はロンドンを嫌う」これは階級の違いによって必然的に起こりうることで、2バンドの対立は次第に大きくなっていきます。そしてOasisの影響で「反発心や多様性がある労働者階級の文化は優れている」と労働者階級のバンドにも脚光を浴びるようになります。

 

1995年8月14日、Oasisの“Roll with It”とBlurの“Country House”の同月同日発売が決定し、全英シングル1位かけての直接対決となります。この対立に対して多くのメディアが1週間もかけて取り上げ全国民の注目となりました。

 結果は6万枚近い差をつけてBlurの勝利。そこからBlurの勢いは止まらず、2年後にリリースした”Beetlebum”も全英で1位を獲得します。この”Beetlebum”は個人的にもBlurで好きな曲の一つです。

こうしてBlurとOasisの差が広がっていく中で、Oasisも黙っているわけにはいきません。大きな反撃に出たOasisは1995年10月に”Wonderwall”をリリースし、大ヒットを生みます。その後の10月に2ndアルバム”Morning Glory”をリリース。発売直後から世界中で爆発的な売り上げを記録し、オアシス史上最高のセールスを記録したアルバムとなります。全世界では2500万枚以上を売り上げ、Oasisは世界を代表するバンドとしてスターダムへ駆け上がりました。

当時は22人に1人がライブのチケットを買っていたと言われ、ロンドンの街中なら5秒に1人はファンとすれ違うと言われていたほど。イギリス国内どこに訪れてもOasisの楽曲が流れていたと言われています。

しかし、1997年にブリットポップの勢いは失速。Blurはアメリカのアンダーグラウンドのシーンにフォーカスし、同年4月に”Song 2”をリリースします。数年前のインタビューでは「グランジを殺す」とグランジに対する皮肉なコメントを残していたデーモン・アルバーンですが、Nirvanaよりもくどい最高なグランジを披露。MTVでのヘビロテが決定した瞬間にヒットを確信したと言います。今でもCMやスポーツの試合会場などでも流れることがあり、1度は耳にしたことがあるんではないでしょうか。

こうして新たな時代の幕開けと同時にブリットポップは終わり迎えます。長々とブリットポップの歴史を語りましたが、Netflixの「This Is Pop: ポップスの進化」というシリーズの「ブリットポップがやって来た!」というエピソードでも分かりやすく解説されています。興味を持たれた方は是非。

 

では、90年代のイギリスで一大ムーブメントを起こした「ブリットポップ」をファッションという側面から見ていきましょう。個人的な認識としてブリットポップのファッションってそんなに高価な服を着ているというイメージはなく、庶民的なレギュラーブランドを着ていることがほとんどで、着飾らない自然体な自分を表現している「リアルさ」が当時の若者の心を掴んでいたのではないかと思います。分かりやすく言うとふらっとコンビニやスーパーに行くときのような緩いファッション。

ではそれぞれのバンドから1人ずつご紹介していきます。

まずはBlurのフロントマンであるデーモン・アルバーン。現在はGorillazというバーチャル覆面音楽プロジェクトとしても活動しています。

 

ブリットポップのファッションといえば「トラックトップ」などを思い浮かべる方も多いかと思いますが、忘れてはいけないのがこちらのハリントンジャケット。カラーはベージュで裏地はチェックのものが最も印象的です。どこのブランドのものかは不明ですが、恐らくハリントンジャケットの代表的なブランド”Baracuta”のアイテムではないと思います。

 

お次はトラックトップ。デーモン・アルバーンは”Kappa”や”Lotto”、”FILA”、”Sergio Tacchini”などイタリアのスポーツブランドを好んで着ていた印象です。今では少しいなたい印象があるようなブランドですが、着飾っていないところがカッコ良さを感じます。うちでもこの辺のブランドは他の古着屋よりも取り扱いは多い方だと思います。

そしてこの写真は見たことがある方も多いんではないでしょうか。ロンドン出身なだけあって地元クラブのチェルシーのユニフォームを着用しています。ちなみにこちらは95/96シーズンのもの。今では日本でもよく見るスタイリングとなりましたが、イギリスならではの文化ですね。地元のクラブのユニフォームを普段のスタイリングに取り入れる人って今の日本でもなかなかいないですよね。

お次はOasisのフロントマン、リアム・ギャラガー。彼といえばアノアラックパーカーをイメージする方が多いかと思います。彼にとってアイコニックなアイテムの一つと言えるでしょう。

 

そして何と言ってもマウンテンパーカーも忘れてはいけません。この写真ではイギリスのアウトドアブランド”Berghaus”を着用しています。当時のUKアーティストはBerghausをよく着ていた印象です。他にもColumbiaなど着用ブランドは様々です。

 

何よりフットボールを愛し、地元クラブであるマンチェスター・シティをこよなく愛すリアムもスポーツウェアは外せません。こちらはUMBROのピステを着用。インナーにシャツを挟むことで上手くまとまっているように感じます。これも彼のファッションセンスですね。

といった感じで長々とブリットポップを語りましたが、いかがだったでしょうか。これでもかなり凝縮した内容なので気になったところは深掘って調べてみてください。フットボールウェアに着目されがちですが、一応古着屋なのでフットボールのカルチャーを軸に商品をセレクトしています。ブリットポップのファッションが現代の日本でも流行すると面白いですね。